ペレス・プラードは、自身の楽団を率いて1956年に初来日しました。それから1987年の最後となった来日公演まで、なんと17回もの来日を果たしています。日本でたくさんのステージを披露しました。
初来日の時の様子は前にブログに書きましたが、ここでは最後となった1987年のお話を。
17度目の来日公演は、ペレス・プラードの最後の海外公演となりました。
ペレス・プラードといえば、ステージを動き回り踊りながら足を蹴り上げて指揮をするのが特徴です。
しかし、1987年当時は既に体を悪くしており、ステージ上では前のようには動けなかったそうです。
ですが、素晴らしい音楽をいつものように披露し、大変な盛り上がりとなりました。
この来日では、当時の日本ビクターでレコーディングも行われました。
ペレス・プラードのベスト盤というと、日本で有名な「マンボNo.5」を始め、「ある恋の物語」や「闘牛士のマンボ」などが収録されています。
1987年ではそれらの名曲に加えて、日本では初レコーディングとなった「サックスのマンボ(マンボ・オン・サックス)」や「小粋な下町娘(チェラ・リンダ)」の2曲も収録されました。
ペレス・プラードファンにはお馴染みの曲ですが、日本ではかなりマニアックな部類に入る曲ですね。
「サックスのマンボ」は1949年頃発表されたペレス・プラード作曲のスローテンポのマンボです。
下の動画は私が2016年にペレス・プラード楽団に参加した時の「サックスのマンボ」です。私のボンゴのイントロでスタートして、サックスが加わります。
この時のサックスのソロは、アントニオ・ソトが担当しました。
「小粋な下町娘」は1952年頃発表された、こちらもペレス・プラード作曲のスローテンポのマンボ。
この曲ではトランペットをフィーチャーしており、サックスのマンボ同様美しいメロディーが楽しめます。
ペレス・プラードはジャパンツアーの帰国後すぐに入院。闘病生活が続き、亡くなる前には右足を切断。
そして1989年9月14日午後5時30分に自宅で息を引き取りました。死因は心臓マヒ。享年72歳でした。
下の写真は、私がメキシコシティーにあるペレス・プラードの墓地で撮影したものです。
ここには女優であった奥さん、そしてペレス・プラード亡き後、楽団の音楽監督として活躍した息子のペレス・プラード・サリナスも一緒に眠っています。
私は、一度もペレス・プラードが指揮をする生のステージを見ることが出来ませんでした。
とても残念で仕方ありません。
ですが、幸いにも楽団は存続し、1992年には2代目リーダー、へスース・ガルニカ・マルティネス率いるペレス・プラード楽団(音楽監督はペレス・プラード・サリナス)の来日公演を観ることが出来ました。
しっかりとペレス・プラードサウンドが引き継がれていて、生意気にもファンとして一安心しました。
それまではスピーカーの前でしか聴いたことのなかったペレス・プラードの音楽。
写真でしか見たことがなかったので、演奏者の動きは想像することしかできませんでした。
当時は、YouTubeもありませんでしたからね。
それを生で観られたのですから、大感動でした!
やっぱり生のステージは、サウンドといい、空気感といい、サイコーです!!
三重県のステージを観終わってから名古屋駅までの電車では、なんと楽団の皆さんと一緒になりした。初めて楽団の方と握手!嬉しかったです。
この時は2代目リーダーとは席が離れていてお会いできませんでした。まさか数年後に文通することになるとは、、、このときは思いもよらなかったです。(あ、少しはあったかな(笑))